写真集を読む 」カテゴリーアーカイブ

「飯沢耕太郎と写真集を読むvol.20 植田正治2」講座レポ

 

3月5日に開かれた、月に1度の連続講座「飯沢耕太郎と写真集を読む」。
20回目となる今回は、前回に続き植田正治さんを取りあげました。
(前回のレポートはこちら

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めぐたまの写真集の持ち主、飯沢さんのお話を聞きながら、植田正治の写真集をじっくりと見ていきます。
今回も、植田正治事務所の増谷寛さんをゲストにお迎えしました。

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植田正治の写真集で注目したいのが、本につけられた題名です。植田がつけた題名はどれも、心にすっと入ってくるような飾り気のない美しさがあります。

山陰地方の子ども達を写した『童暦(わらべごよみ)』(1971年)、雑誌『カメラ毎日』で1974年から1985年の12年間にわたり連載された「小さい伝記」は、地域に根付く風土と、そこに住まう人々の“何てことのない姿”に目を向けていく植田正治の姿勢が、その題名によく表されています。

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また、シリーズ作「風景の光景」(1970〜80年)やヨーロッパを訪れて撮った写真をまとめた『音のない記憶』(1974年)といった題名からは写真を撮ることを「写真する」と表現した植田の哲学的な一面も感じさせます。

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そしてその題名の元にまとめられた写真たちは、これもまた“何てことのない姿”のように見えて、植田ならではの、間のとり方、シルエットのあり方、瞬間の捉え方、が存在しています。それは、人や物の配置にこだわった演出と構図、現像時のさまざまな技法を駆使した写真加工によるものであり、飯沢さんが「1冊に1つのドラマがある」と言ったのもうなずけます。

2000年に亡くなる直前まで、意欲的に写真を撮り続けた植田正治。写真集の数々から、小さくてさりげない物にも目を凝らし、「写真する」喜びが伝わってきました。

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次回は、1人の写真家を取りあげるのではなく、「肖像写真集」をテーマにさまざまな写真集を紹介していきます。
来月もたくさんのご参加お待ちしております。

 

【次回講座のごあんない】

飯沢耕太郎と写真集を読むvol.21

肖像写真集を読む/ナダールとザンダーを中心に

4月16日(土)

10:00~11:30

2500円(三年番茶付き) 学生割引 1500円(三年番茶付き)

定員 15名

場所 めぐたま

* お申し込み megutamatokyo@gmail.com

*たまにメールが届かないことがあります。3日以内に返信がない場合、お手数ですが再度メールくださいませ。

*前日、当日のキャンセルは準備の都合がありますので、キャンセル料をいただきます。

*飯沢さんと一緒にランチを食べる方は事前にお申し込みいただけると嬉しいです。(休日ランチ1500円)

 

写真/文 館野帆乃花

「飯沢耕太郎と写真集を読むvol.19 植田正治」講座レポ

 

1月17日の日曜日に今年最初の「飯沢耕太郎と写真集を読む」が開催されました。

今回で19回目となる「飯沢耕太郎と写真集を読む」は2014年2月にめぐたまがオープンして以来、たまにお休みしながらも月に1度開催してきた連続講座です。

この講座では、めぐたまの写真集の持ち主である飯沢さんが“写真集の味わい”についてお話していきます。(これまでの講座の様子はこちら

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今回は、『shōji ueda』がフランスの出版社Chose Communeから発表されたのを記念して、植田正治さんを取りあげました。

『shōji ueda』の日本での販売を担当している濱中敦史さん(twelevebooks)と植田正治のお孫さんである増谷寛さん(植田正治事務所)をゲストにお迎えし、お二方のお話も伺っていきます。

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植田正治は1913年、鳥取県西伯郡境町(現・境港市)に生まれます。
植田が写真に興味を持ち始めた1920〜1930年代は、アマチュア写真家たちが「芸術写真」や「ピクトリアリズム」と呼ばれる絵画的な構図とプリント技法をこらした写真を探求した時代から、「新興写真」と呼ばれる絵画から独立した、写真としての芸術表現を追求する時代へと移り変わる瞬間でもありました。

芸術写真を追い求めていた日本に黒船のごとくやって来た「ドイツ国際移動写真展」(1931年)は時代の移り変わりを象徴する展覧会でした。

植田は展覧会は見ていませんが、父に買ってもらった『MODERN PHOTOGRAPHY』(1931年)で欧米の写真に触れ、この出会いは当時18歳だった植田が本格的に写真に取り組むきっかけになりました。

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植田正治が今でも一目置かれる存在であるのは、新興写真に影響を受けながらも芸術写真を追求し続けたところにあります。
砂丘を舞台に家族や子ども達を写した「少女四態」や「パパとママとコドモたち」は植田の代表作品です。

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鳥取の平坦な土地や低い雲が、植田独特の空間意識につながっていると、飯沢さんやお孫さんで植田正治をよく知る増谷さんが解説してくれました。

空間的なスケール感と構図の面白さは、アメリカやヨーロッパでも「Ueda-cho(植田調)」という言葉が浸透するほど。
この度、フランスの出版社で彼の写真集が刊行されたのも、海外での評価の高さを示しています。

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日本での販売を担当している濱中さんから、フランスの出版社Chose Communeが、これまでの植田正治のイメージに縛られない自由な視点で写真をセレクトしていることや、これまで発表されていなかった写真も収められていることも聞くことができました。

飯沢さんも「『こんなのあったんだ』という驚きがありました。植田正治というと日本では砂丘の印象が強いですがこの本には砂丘を舞台にした写真がほとんどない。フランスと日本の見方の違いというか、誰も知らなかった植田の一面が見られますね」とこれまでの植田正治の写真集の中でも画期的な一冊だと評価しています。

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今回は、植田正治のプロフィールと新刊『shōji ueda』について、じっくりとお話を聞くことができました。

次回は紹介しきれなかった写真集を1つ1つ見ながら、植田正治の作品を読み解いていきます。

たくさんの方にご参加いただきキャンセル待ちのお客さまもいらしたほど、人気の写真家さんなのでご予約はお早めに。

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【次回講座のごあんない】

飯沢耕太郎と写真集を読むvol.20 植田正治2

2016年3月5日(土)

10:00~11:30

料金 2500円(三年番茶付き)

学生割引 1500円(三年番茶付き)

定員 20名

場所 めぐたま

* お申し込み megutamatokyo@gmail.com

*たまにメールが届かないことがあります。3日以内に返信がない場合、お手数ですが再度メールくださいませ。

*前日、当日のキャンセルは準備の都合がありますので、キャンセル料をいただきます。キャンセルまちのお客さまもいらっしゃるので、キャンセルの場合は必ずご連絡ください。

*講座のあと飯沢さんと一緒にランチを召し上がることもできます。(休日ランチ1500円)

 

写真/文 館野帆乃花

「飯沢耕太郎と写真集を読むvol.18 石内都」講座レポ

 

5000冊もの写真集からお気に入りを手にとり、美味しいごはんと写真集を味わう。
めぐたまは「写真の楽しさをおいしく味わえる」場所です。

11月22日の日曜日、今年最後の「飯沢耕太郎と写真集を読む」が開催されました。
写真集の持ち主である飯沢さんが“写真集の味わい”についてお話しするこの講座も、今回で18回目になります。(これまでの講座の様子はこちら

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この日取りあげた写真家は、石内都さん。
1947年に群馬県で生まれ、1979年には女性で初めて木村伊兵衛写真賞を受賞しています。
今となっては女性の写真家は珍しくありませんが、被写体に対して、時に強い感情をぶつけ、時には大きな受容性を持って捉える彼女は、男ばかりの世界で一目置かれる存在でした。

美大生の頃、染色をしていた彼女は「私にもやれそう」と我流で暗室作業を習得したそうです。
染料を使って布を染めていくように、薬品を使って印画紙に像を定着させていくことに魅せられた初期の作品は、強いコントラストとくっきりと浮かび上がる粒子が特徴的です。

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「石内都」は本名ではなく、母の旧姓。
母の名前で活動しながらもその関係は複雑で、母とはなかなか心が通い合わず、1979年に刊行された『絶唱・横須賀ストーリー』は、幼少期に過ごした横須賀を、強い主観的な感情をぶつけるように写しています。

一方で1981年の『Endless Night 2001 連夜の街―石内都写真集』では、日本全国のかつて遊郭として賑わった街をめぐり、寂れた建物のディテールを丁寧にそして客観的に捉えました。

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主観と客観。対極的な『絶唱・横須賀ストーリー』と『Endless Night 2001 連夜の街』に共通するのは、過去の痕跡を捉えていく姿勢。
それは、『1・9・4・7』(1990年)へと通じていきます。
『1・9・4・7』は彼女と同じ「1947年生まれの女性」の手と足をクローズアップで捉えた写真集です。
一人一人の皮膚に刻まれた歴史を受け止めるように、1枚1枚を丁寧に写しています。

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その後の写真集『1906・to the skin』(1994年)『さわる―Chromosome XY』(1995年)では人の皮膚に関心を強めますが、新たな転機となったのが『Mother’s』(2002年)でした。
彼女は、やっとわだかまりが解けてきた頃に亡くなってしまった母親の下着や口紅、靴などの遺品を「残された皮膚」として、写真に収めていきました。
『Mother’s』の写真は2005年のヴェネツィア・ビエンナーレで展示され、国際的な評価が高まり、石内都は新たな飛躍を遂げます。

その後、広島市現代美術館の依頼で、原爆の被爆者の衣服を撮影した『ひろしま』(2008年)でも『Mother’s』のように、布の物質的な存在感を超え、かつていた、今はもういない存在のただよう気配を感じさせます。

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最近では、メキシコの女性画家フリー・ダカーロの遺品をめぐる旅がドキュメンタリー映画になるなど、ますます注目を集める石内都。
1つの写真集が次の作品へとつながっていき、その跡を追っていくことで石内さんの写真をより深く味わえることが、飯沢さんのお話から伝わってきました。

次回は来年、1月17日(日)を予定しております。
テーマは植田正治について。
来年もたくさんのご参加をお待ちしております。

【次回講座のごあんない】
飯沢耕太郎と写真集を読むvol.19 植田正治
2016年1月17日(日)
10:00~11:30
料金 2500円(三年番茶付き)
学生割引 1500円(三年番茶付き)
定員 15名
場所 めぐたま
* お申し込み megutamatokyo@gmail.com
*たまにメールが届かないことがあります。3日以内に返信がない場合、お手数ですが再度メールくださいませ。
*前日、当日のキャンセルは準備の都合がありますので、キャンセル料をいただきます。キャンセルまちのお客様もいるので、キャンセルの場合は必ずご連絡ください。

*講座のあと飯沢さんと一緒にランチを召し上がることもできます。(休日ランチ1500円)

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写真/文 館野帆乃花

「飯沢耕太郎と写真集を読むvol.17 中平卓馬」講座レポ

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月に一度の連続講座「飯沢耕太郎と写真集を読む」。
講座では写真評論家の飯沢さんの解説を聞きながら貴重な写真集をみる事ができます。
今回はいつも以上にたくさんの方にご参加いただきました。
(これまでの講座の様子はこちら

今回のテーマは、先月帰らぬ人となった写真家・中平卓馬について。
森山大道と同じ1938年生まれの日本を代表する写真家であり『なぜ、植物図鑑か―中平卓馬映像論集』(1980年)などの著書を残した言葉の人でした。

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60年安保の激動の時代に大学生活送った中平は、卒業後、雑誌『現代の眼』の編集者となります。編集者として寺山修司と東松照明とともに仕事をした彼は、裏方ではなく表現する側に惹かれ「詩人になるか、写真家になるか」の二択の末、写真家の道を選びました。

1968〜1969年には『PROVOKE(プロヴォーク)』に参加。雑誌は3号で休刊されましたが、多木浩二、中平卓馬、高梨豊、岡田隆彦、森山大道といったその後の日本写真を担う人々の同人誌として、今も尚語り継がれています。
モノクロで粒子が粗くピントの定まらない「アレ・ブレ・ボケ」といわれる写真表現は不穏な時代状況を捉え、1970年に発表された『来るべき言葉のために』はまだ言葉にもならぬ身体に刻みこまれた呻き声のように、観るものにその時代の空気を伝えています。

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1971年にはパリ青年ビエンナーレに出展します。その日に目にしたものを写真に残し、現像後、印画紙も乾かぬうちに展示していく「サーキュレーション・日付・場所・行為」というパフォーマンスを行いました。
この頃から中平の写真論は叙情性を一切排除し、そこにあるものをただ写す「写真=記録」の行為であるべきとの考えを強めていきました。
1980年の映像論集『なぜ植物図鑑か』では、自身の「アレ・ブレ・ボケ」の写真を否定し、目の前の物を一切の主観なしに物として捉えることこそ写真の役割であると主張します。

しかし、自身が確立した思想と写真を撮るという身体表現の溝に苦しみ、言葉と写真は乖離していきました。その溝を埋めるように、酒とクスリに溺れていき1977年、遂に急性アルコール中毒によって記憶を失ってしまいます。

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その後、徐々に体力も記憶も回復し『新たなる凝視』(1983年)、『Adieu à X』(1989年)の2冊の写真集を発表します。2003年には横浜美術館で回顧展を開催。展覧会カタログとして『原点復帰——横浜』を編みました。一度、記憶を失った中平が撮る写真は、カラーでピントがしっかりとあった「アレ・ブレ・ボケ」とは対極の写真。初めてカメラを手にしたかのような瑞々しさを感じさせるその写真は、かつての中平が確立できなかった「植物図鑑」を成し得たかのようにも見えます。

飯沢さんは中平卓馬を「写真の全てを体験した、写真の世界の守護天使のような人」と故人への思いを語りました。

次回は、11月22日(日)を予定しています。
来月のテーマについては、後日こちらのブログで告知があるかと思いますので、皆さま奮ってご参加ください。

写真/文 館野 帆乃花

「飯沢耕太郎と写真集を読むvol.16 深瀬昌久」講座レポ

 

秋の気配を感じるようになってきた9月6日の日曜日。

連続講座「飯沢耕太郎と写真集を読む」が開催されました。

めぐたまで自由に手に取ることのできる5000冊もの写真集。

「写真の味わい方を知ってほしい。」と、続けて来たこのイベントも今回で16回目です。(いままでの様子はこちら。)

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この日のテーマは写真家・深瀬昌久の生涯と写真について。

飯沢さんは深瀬昌久を「生きること」と「写真を撮ること」の結びつきが異様なまでに強い写真家だと言います。

1934年、北海道美深町にて写真館の息子として生まれた深瀬。

幼少期から「写真」が身近にあった彼にとって写真を撮ることは宿命であり、ある種の縛りでもありました。

被写体に「自分」を投影するかのようにカメラを向けた『遊戯』(1971年)、『洋子』(1978年)、『鴉』(1986年)、『家族』(1991年)、『父の記憶』(1991年)を見ていきます。

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妻・洋子との別れと、家族の死を経た深瀬は、被写体としての他者も失い「自分」にカメラを向けるようになります。それが、「ブクブク」や「私景」のシリーズです。

1992年の事故によって突如として写真を撮ることができなくなり、療養施設を転々とし2012年に亡くなりました。

「自分とは何か」という問いを極限まで追い続けた彼の写真には、刃の上を渡り歩くような危うさと凄みがあると飯沢さんは語ります。

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特別ゲストに深瀬昌久アーカイブスのトモ・コスガさんをお迎えし、生前最後の写真展となったニコンサロンの展示風景やオリジナルプリントをみせて頂きました。

彼の死後、深瀬昌久アーカイブスの活躍もあり、国内外で写真家・深瀬昌久への注目が集まっています。

トモ・コスガさんは講座の最後に「若い人にもみてほしい」と思いを語ってくれました。

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トモ・コスガさん、そしてご参加いただいたみなさま、ありがとうございました!

 

【次回のごあんない】

飯沢耕太郎と写真集を読む! Vol.17 中平卓馬

10月18日(日)

10:00~11:30

料金 2500円(三年番茶付き)

学生割引 1500円(三年番茶付き)

定員 15名

場所 めぐたま

* お申し込み megutamatokyo@gmail.com

*たまにメールが届かないことがあります。3日以内に返信がない場合、お手数ですが再度メールくださいませ。

*前日、当日のキャンセルは準備の都合がありますので、キャンセル料をいただきます。

皆さま奮ってご参加ください。

 

写真/文 館野 帆乃花